フラストレーション後の行動(後編)
おはようございます。
今日は、前回記事フラストレーション後の行動(前編)の「後編」!
前編にも書いておりますが、おさらいです。
自分自身様々な要求の狭間で葛藤したあげく、
もしも、自分が想像していた未来が実現できなかったら・・・?人は常に、欲求を満たそうと行動しますが、
様々な要因が重なり、自分の欲求が必ずしも満たされるわけではありません。
その状態を欲求不満(フラストレーション)と言います。人は、欲求不満や葛藤によって、
心理的な緊張、緊迫に耐えられない可能性(破局)を予感すると、不安になって、その予感した状況を回避するために、
自分自身を守ろうとする自己防衛反応を現わすことがあります。
というわけで、
前編では、その防衛反応「5つ」をご紹介させて頂きました。
- 逃避
- 抑圧
- 投射(投影)
- 同一視
- 反動形成
今週は「後編」として、この「5つ」ご紹介させて頂きます。
- 合理化(理屈づけ)
- 補償
- 昇華
- 置き換え
- 摂取(取り入れ)
具体的な防衛反応
合理化(理屈づけ)
合理化とは、
「何かもっともらしい理屈をつけて自己を正当化しようとする」防御機制です。
2種類あります。
1つ目は、「すっぱい葡萄」
2つ目は、「甘いレモン」です。
さて、一つ目。
イソップ寓話の「すっぱい葡萄」というお話を知っていますか。
狐は木になる葡萄を取ろうとしますが、上の葡萄が届かないため、
「届かない位置にあるのはすっぱい葡萄」だと自分を納得させるというお話。
努力しても手に入らない目標を、
価値を低めて、気持ちの緊張の解消を図る自己弁護のことです。
現実的には、
仕事で失敗したのは、あのとき体調が悪かったから・・・とか、
女の子に告白したら断られたのは、
本当は僕のことが好きだけど、家族から反対されているからだ・・・とか。
次に、二つ目の「甘いレモン」。
どんなにすっぱいレモンでも、
自分のものは甘いんだ!と思い込もうとするものです。
人は「自分の持っているものが良いものである」と思いたがります。
でも、せっかく手に入れたものが、想像と違っていた場合には、
落ち込みますよね。
それを避けようとするのが、甘いレモンの理論です。
自分が持っているものの価値を過大評価することです。
例えば、
出っ歯も愛嬌だとか、
あばたもえくぼだとか・・・、
好きだった人とつきあってみたら、暴力を振るう人だった・・・でも、
普段はイイ人だし優しいんだけどなぁ〜、とか。
まあ、最後の例は、極端なものですが、
合理化は、自分自身の唯一の理屈で自己を正当化してしまいます。
いわゆる、自己中ですが、
第三者的な目で、一度自分自身の理屈を見てみるのも良いと思います。
「葡萄がおいしそうだから、食べたいのに、
届かないし食べられないから、葡萄は酸っぱくて美味しくないんだ!」
と思い込むのは、
極端ですし、それで正当化したとしても、結局、心は満たされませんよね。
補償
補償とは、
「ある分野での劣等感による気持ちの緊張を解消するために、
他の分野で、優越感を求める」防御機制です。
例えば、
勉強ができないから、スポーツ面で優秀な成績をとる・・・とか、
経営手腕は乏しいが、人脈だけは豊富にある・・・とか、
お金はないけど、友達には恵まれている・・・とか、
何かが苦手でも、他の面で頑張り、劣等感を克服しようとします。
そして結果、他の面で優れた人になる。
補償という防御機制は、否定的な一面を、何かで埋め合わせして、
人を成長させるエネルギーになります。
そして、劣等感を優越感で埋め合わせするという防御機制です。
昇華
昇華とは、
「抑圧された欲求や衝動が、
社会的、文化的に承認される価値のある好ましい活動となって発現する」
防衛機制です。
例えば、
10代、20代の若い頃は、エネルギーが有り余って、
運動やスポーツに打ち込んで発散するとか、
怒りやイライラを抑えつけるかわりに、
カラオケで発散したり、絵を描くことに没頭したりというように、
押さえつけた感情を、別の方法で、発散する防衛反応です。
最近では、一人カラオケとかはやってますよね・・・。(^^)
置き換え
置き換えとは、
「ある対象に向けられた無意識的な欲求や衝動を、
他の対象に向き変えることによって、
その対象からの攻撃を防いだり、不安、罪悪感、欲求不満等を
解消しようとする」防衛機制です。
言い回しが難しいですが、
「八つ当たり」とか「身代わり」と言えば、
わかりやすくなりますよね。
誰かをいじめる人も、他の誰かに押さえつけられたりして、
自分自身の気持ちの行き場をなくして、
別の誰かに発散してしまうのだと思いますし、
誰かに怒鳴られてイライラする気持ちを、
別の誰かにそのイライラを発散したり、
よくありますよね。
私も、その1人です・・・。^^;
あと、この置き換えは、「フェチ(フェティシズム)」もそうです。
よく「足フェチ」「手フェチ」「血管フェチ」等と言いますが、
異性の特定の箇所や持物に愛着を示すことも、
「置き換え」の一つです。
異性に対して愛情を示すのに不安や恐怖があるので、
そういう特定のものに愛着を示すことで、
その不安や恐怖心を置き換えてしまう行動です。
先に紹介した「昇華」も、「置き換え」の一つになります。
摂取(取り入れ)
摂取とは、
「外界の対象やその対象の持っている特徴を
無意識的に自分の中に取り入れる」防衛機制です。
例えば、
周りの人から、自分自身を拒否されたり、孤立するのを防ぐために、
空気を読んで、周りの期待に添った行動をとって不安を解消することです。
摂取は、先に述べた「同一視」の元になります。
「同一視」は、他人の名声や権威、モノ等を、
自分に取り入れることで、自分自身を高めようとすることで、
一方、
「摂取」は、他人の価値観、感情、功績を、
自分のものとして感じ、受け入れること。
時に、摂取や同一視が過度な反応になると、
他人の手柄を自分のこととして勘違いしたり、
自他の境目がつきにくい人になってしまいます。
おわりに・・・
いかがでしたでしょうか。
今回は、前編・後編として「防御反応」について書かせて頂きました。
様々な防御反応がありますね。
人は、どんな時でも、自分自身を守ろう!正常に戻そうとする機能が働きます。
それが防御機制です。
そしてだからこそ、苦境にも、人は耐えていけるのだと思います。
自分自身が想定していた未来が来なかった時、(その未来が良くも悪くも)
どんな対応をとってしまうのか、自分自身を見つめてみましょう。
たとえ、同じ状況が、他人と自分自身に降り掛かったとしても、
同じ対応をするとは限りません。
それは、今までの経験値等もかかわってくるでしょう。
そして、
「こうするのが良いのだ!」という判断基準もありません。
どんな反応も、誰もが行っている反応であるということを理解し、
自分自身を見つめてみてるのも、
新たな発見があっていいのではないでしょうか。
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