京都のNPO法人 CRA(クリエイター育成協会)が発信するブログです。Web業界、Webデザイナー・Webプログラマー・Webマーケターの育成。

お問い合わせ
075-353-3711 受付時間:10:00〜18:00(土日・祝日除く)
menu close

CRAブログ- Web/IT・教育・福祉業界の情報を、スタッフ&インターン生が配信中

人間関係での自分自身の保ち方(後編)

2014年08月18日cra
Pocket

お盆休みが終わりました。
まだ、休み気分が抜けない感じですね。

「あぁ〜働くの嫌だなぁ〜」と思っている人、

仕事の前に、少しウォーミングアップがてら、今日のブログをどうぞ。

では、先週「人間関係での自分自身の保ち方(前編)」として、
「皇帝の新しい服」俗にいう「はだかの王様」をご紹介しました。

先週も最後に言いましたが、
私は、今の今まで、「はだかの王様」のお話を勘違いしておりました。

それも含めて、今日は、「はだかの王様」が伝えたかったことを、
お話ししていきたいと思います。

(ちなみに、全くの余談ですが、
学生さんは、夏休み。小中学生は、もしかしたら、夏休みの宿題で、
読書感想文とかあるかもしれませんね。
「はだかの王様」読んでみてはいかがでしょうか。)

 

「はだかの王様」が伝えたいこと

 

先週、少し詳しくお話を紹介させていただきました。
実は、いろんな要素が隠れています。

私は「みんなが簡潔に説明するのに省いてしまう内容」にも注目したので、
少しお話が長くなってしまいました。

読むのが大変だったと思いますが、いろいろ隠れてましたね!
これから、触れていきましょう。

 

・社会のしくみ

 

私は、このブログを書くにあたり、
「はだかの王様」を、細部にまで目を通し、読みました。

今までは、王様が権力で、「黒でも白にしてしまう」ようなお話なんだと、
単純に判断してしまっていました。
ですが、読んでみると、

注目点がたくさんあって、なかなかおもしろい!

この「はだかの王様」が伝えたいこと。

それは、
「社会の中で、うまく生きていくために、どうすれば良いのか?」
ということ。

それを、あえて、アンデルセンは、
「社会でしてはいけないことをしてしまうと、こうなるよ。」ということを、
物語にしたのだと、私は理解しました。

 

・信じていれば、疑わない

 

まず、一番に、わたしが「皇帝の新しい服」を読んで驚いたことは、

「さぎ師」が、布地を作っていないのに、
ちゃんと徹夜したり、からの機を動かしたり、
皇帝に服を着せる時にも、何もないのに、着せるまねまでして、
ちゃんとだましたこと。

すごいな!っと不覚にも思ってしまいました。

 

あいもかわらず、からの機を動かして仕事を続けた。

大行進が行われる前の日、さぎ師たちは、16本ものろうそくを燃やして、夜なべ仕事をした。ふたりとも皇帝にお着せする服の仕上げに精魂かたむけているのだな、と町の人々に思い込ませるためだった

 

だますという行為を、しっかり、真剣に事細かくおこなっていたのです。

だますということは、ダメなことですが、

もし、少しでも、さぎ師が、布地を織るまねを手を抜いたとしたら・・・、
皇帝を含めた側近たちも、疑問を持ったと思います。

それだけさぎ師が、手を抜かずに、物理的にも時間的にも、
技術面や色合いや模様などの専門的な説明をしたからこその、このお話だなと、
感心いたしました。

ここから導きだされるもの、それは、

そもそも、人間関係では「信じていれば、疑わない」ということです。

皇帝や側近たち、町中の人たちは、さぎ師を信じきっていました。
「布地は見えないけれども、存在している。自分以外の人には見えている。」
と信じて疑わなかった。

信じることから、人とのつながりはできるんだと思います。
逆に、疑うような人間関係では、相手を信じていないということにもなります。
それでは、人間関係や社会は、そもそも成り立たないということを
伝えたかったのだと思います。

本当に、おもしろいですよねぇ〜。

ちなみに、それでも、やっぱり、だますというのは良くない行為ですからね。

 

・「バカだと思われたくない」と他人の評価を気にすること

 

さて、次ですが、

「はだかの王様」の教訓として、よく言われるのは、
「権力を振りかざして思いのままにすることはダメなことだ」ということです。

 

「これを着れば、この国で誰がついている仕事にふさわしくないか、ひと目でわかるだろう。
おろかな者と賢明な者とを選り分けてやろう。」

 

たしかに、皇帝は、最初は人を選り分けてやろうと企んでいましたが、
それは叶いません。

全ての人が、自分以外の人に「自分自身が布地が見えないこと」を隠し続けます。

みんなが見えていないのに、
誰一人「見えない」ということを口に出さないという状況、想像できますか?

それくらい、全員が、自分自身の身分や知性の評価を落としたくなかったのです。

結局、見えない布地を見えるようにしていたのは、
自分自身を守ろうとする気持ちだったということです。

人との関わりの中で、自分自身の存在を証明してくれるのは、
他人が評価する「身分や知性等のような価値」ではない。

皇帝にしても、皇帝であるにもかかわらず、
「バカだと思われたくない!」と他人の評価を気にします。

「皇帝は皇帝である」という事実に、
自分自身誇りを持っていれば、それだけで良かったのに・・・。

 

「なんじゃと!」と、皇帝は心のなかでさけんだ。「予には、何も見えんぞ!これはどうしたわけじゃ!予は、ばか者なのか?予は皇帝にふさわしくない人間だというのか?ばかな、これほどの屈辱ははじめでじゃ!」

 

自分自身の身分やプライドを守ろうと思ったけど、
最後は、自分自身のありのまま(はだか)をさらけ出してしまうという結末を
迎えるのです。

 

私が勘違いしていた部分も、この部分でした。

“皇帝以外は、「みんな、皇帝がはだかであるとわかっていた。」
けれども、みんな、権力を持った皇帝に、口答えできなかった。”

そう勘違いしていました。

 

でも、実際にしっかり読んでみると、そうではなく、

みんな、皇帝がはだかだと思っていたけど、誰一人、口に出さずにいた。
皇帝がはだかだということを言ってしまうと、自分自身が、ばか者とされてしまうということを恐れた。

皇帝の権力云々が、主原因で口に出すことができなかったというよりは、
「今の自分の身分や体裁を守るため」に口に出せなかったと言った方が正しい
と、今は思っています。

 

空気にのまれること

 

布地が見えないのに、「(布地は)すばらしい!」と言ってしまうのは、
周りの空気に飲まれてしまったということも、原因の一つであると考えます。

「同調」です。
同調とは、みんなが「A」だと言ったら、
正しい答えが「B」であっても、「A」と言ってしまうこと。

「はだかの王様」の場合、
「みんなが、見えているふりをしている」
すると、
自分だけが見えていないように感じ、同じように「見えているふりをする」。

疎外感を味わうという恐怖におびえる。

こういう場面、よく日常生活でありますよね。
みんなに流されること。

そういう社会的心理を表現しているのだと思います。

 

・同じ状況でも感じ方は人それぞれ

 

わたしが注目したのは、一番目に紹介した「さぎ師」と、もう一点。

老大臣と役人が「さぎ師の所へ行き、布地が見えない」という同じ状況下で、
心の中で思ったことです。

老大臣は、思います。
「わしはばか者なのかもしれん。夢にも思わなかった。
こんなことが世間に知れたら、わしは大臣の職にふさわしくない!ということになる。
布地が見えなかったということは、口がさけても言えないぞ!」

役人は、思います。
「おれは自分がばか者ではないことは、よくわかっている!
だとすれば、今の仕事がふさわしくないということになるじゃないか!
このことは他人に知られないようにしなくては!」

 

比べればわかりますか?

老大臣は、布が見えなかったことを、肯定しています。
バカなのだと認めています。

ですが、
役人は、布が見えなかったことを、否定しています。
おれはバカじゃない!と、受け入れることができません。

どちらの反応が良い悪いというのはありませんが、
同じ状況下で、別の反応をし、結局「口がさけても言えない」同じ行動をとります。

みんな同調し、「見える振りをする」という同じ行動をとったけれども、
その行動の背景(原因となる心理)には、
様々な気持ちや意味が込められている」ということであり、

とても繊細に書かれた物語だと感じざるを得ませんでした。

「人は、単純に同調しているのではない」ということを、根拠づけているのが、
この部分のような気がします。

 

・子どものような純粋・素直な心

 

最後にやっぱり、取り上げないといけないのは、
「あの人、はだかだよ!」と言った子ども。

町中の大人が、すばらしい!と口々に言っていたのに、
一人の子どもが、「あの人、はだかだよ!」と言ったことで、
大人たちがその言葉を信じた。

不思議ですよねぇ〜。

体裁やプライド、世間体にガチガチな大人は、
子どもの素直な反応に、ハッと気づくのです。

人として生きていくと、
世間体やプライド、身分や知性等、たくさんのモノを、身につけます。

ですので、人間として、物事の判断をするときは、
子どものように、素直な心で行うことを伝えたいのではないかと思います。

大人になると、様々な要因が重なり、利害関係を伴う人間関係も出てきます。

この物語の「見えない布地」は、プライドや体裁や身分や肩書き
そういう目に見えない私たちの価値観を示していると思います。

そういう目に見えない価値観に、大人は、
左右されて、真実をとらえきれていないということを伝えたいのです。

そして、そういう価値観に、人生を振り回されるのではなく、
しっかり、ありのままの自分自身で生きること。

 

終わりに・・・

長々と、「はだかの王様」について、考えてきました。

本当に、この短い「はだかの王様」に、
社会や、人間関係の構図が、つまりにつまっていることを、ひしひしと感じました。

今までは、単純に「あの人、はだかの王様やね!」なんて言っていたけど、
これからは、そう簡単には使えませんね。

それに、「はだかの王様」は、一人の人のことを指しているのではなく、
そういう「状況」を指しているのだと、今は思っています。

そう考えると、
逆に、そういう状況だということがわかり、
私が「はだかの王様の状況だ!」と言った時、
つまり、その「はだかの王様」の状況を、自分自身が察知した時、

悲しいかな、
私自身もその中に含まれているということになります。

人との関わりや社会への参加を、しっかり自分自身見極めて、
生きていきたいと思いますね。

素直な心で、「見えない布」を「見える」と言ってしまわないように。
肩書きや体裁、身分やプライドに、振り回されずに・・・。

——————————————————————————–

CRA(NPO法人クリエイター育成協会)のホームページはこちら
Facebookページはこちら

Pocket

CRAが運営する就労移行支援事業所 ワークサポートセンターはこちら