【CRA東京勉強会 第一回目】〜 僕のアートとデザインの考え方 〜
【こちらの記事は、約5分程でお読みいただけます。】
おはようございます。火曜日担当の新米デザイナー田中です!
先日CRA東京にて勉強会を行いました。最初は上手に話せるか戸惑いがあったのですが、メンバーと意見交換を出来た事で自分の頭の整理や、新たな学びに繋げることができ有意義な時間に出来ました。
今回は、勉強会で発表したアートとデザインについての考え方を、自身の立場(主にアート)からご紹介させていただきます。
では、どうぞ!
僕のアートとデザインの考え方
僕は美術を学ぶ人は大きく、2種類に分けられると思います。一つが “ アーティスト “ もう一つが “ デザイナー “ です。
“ アーティスト “ は、自分の感性やスキルを自分の為に突き詰める人
“ デザイナー “ は、他者の為に自分の感性やスキルを使う人
ざっくりとした解釈ですが、両者は目的も考え方も大きく異なります。
一方、インターンで僕が学んだ事は、現場では当然の事ながら ” デザイナー “ が求められているということです。社会において、他者の課題に対して自分のスキルで課題解決を行う、ここで大切なのは “ アート “ ではなく “ デザイン ” でした。
僕は元々アーティスト思考が強かった上、学校の教育でもデザイナーとしてのいろはを学べる機会が無かったので、インターンでのお仕事に大変苦心しました。
もしかしたら僕と似た様な境遇の方で、『 自分はこういったイラストやオブジェしか作れない。』『 自分のスキルを社会に生かすイメージがつかない。』こういった思いを抱き、インターンに挑戦してみたり、社会に出るのが億劫な気持ちでいる方もいらっしゃるかもしれません。
しかしながら、現場でデザイナー又はデザインスキルが求められているという事が、必ずしもアーティスト、又はアートの感覚が生かせないという事には繋がらないと思います。
では、以下で僕がそう感じた理由を詳しく説明させていただきたいと思います。
アートとデザインの到達地点
“ アーティスト “ と “ デザイナー “ は全く逆の方向を向いています。しかしながら、その両者がつくる造形物には共に目指している物があります。それが造形秩序 【 Unity ( 統一感、全体感 ) 】 です。
Unityは絵画、イラストレーション、建築、彫刻、映像、など全ての創造活動に対してあてはめる事ができます。
そしてUnityには、これを支える3本の柱があります。それが ハーモニー ( 調和 ) 、 コントラスト ( 対比 ) 、 バラエティ ( 多様性 ) の三つです。
NEW THEORY OF ART & DESIGN – 新 構成学 – p27引用
Unityは、概ね “ 質の高さ “ と “ 内容の豊かさ “ によって評価されます。質の高さは、ハーモニーとコントラストから、内容の豊かさは、バラエティから生まれると僕自身は考えています。
そして、ここからが自分の磨いた感性やスキル(アート)が社会にとっても役立たせられる理由なのですが、
ハーモニーやコントラストが生み出す質の高さは、デザイナーとしての経験や知識を積んだ人が得意ですが、バラエティが生む内容の豊かさはアーティストが得意なのではないかと感じるからです。
確かに、現場で確実に必要なのは “ デザイナー “ としてのスキルでありこれを欠かす事はできません。
しかし、デザイナーが人と相対し思考する事により、論理的に考え言語化する能力が優れている( =質の高いものをつくる ) のに長けているのに対し、アーティストは自分と長く向き合うことで、他者とは差別化する( =内容の豊かなものをつくる )のに長けていると考えられます。
以上のことから、造形秩序【 Unity 】には内容の豊かさも必要になる。ということが現場でアートの感覚が生かせる理由の1つ目です。
アートとデザインの出発地点
上記で、アートもデザインも最後に目指す到達地点は同じではないかと述べさせていただきました。そして、僕はそれに加えて、アートやデザインの出発地点、土台となるものも実は一緒ではないかと考えています。
その理由を、例を挙げてお話させていただきます。
1919年 –
ドイツにバウハウスという教育機関ができました。バウハウスは世界で初めての造形教育専門の学校です。なぜ1900年代初頭のこのタイミングで世界初の造形教育機関が出来たのかというと、工業化社会が成り立つに連れて、さまざまな分野へと就くデザイナーの育成が急務となったからです。
バウハウスの誕生した理由にはこういった社会からの要望があったのです。
しかしながら、社会からの要望で生まれたはずのバウハウスが実践的な美術、いわゆる応用美術(デザイン)よりも遠回りな教育を行っていたようにも感じます。
ヨハネ・スイッテン
ワシリー・カンディンスキー
ピエト・モンドリアン
モホリ・ナジ
パウル・クレー
など、僕が知っている限り、バウハウスで教鞭をとった彼らの考え方はどうしても、とても基礎的で抽象的で部分的で、実践的なデザインに繋がり辛いもの、言わば、 “ アート “ に近いものである様に僕には感じられたからです。
確かに、バウハウスでは写真や工芸、建築、様々な造形分野の教育があるのに加え、”当時” 求められていたデザインはバウハウスの教育に合致していたという事情も考えられ、一概にバウハウスが “ アート “ 的な教育と言い切る事は出来ないかと思います。
しかしながら、バウハウスという存在が今日の造形基礎教育の一端になり得たのは、一見すると“ アート “ と感じられるような教育も、実は “ デザイン “ にとっても非常に意味のあるものだったのではないかという事です。
なぜならば、“ アート “ と “ デザイン “ は互いが反対を向き合っているようで、その根元となる深い部分では実は繋がっていた – そういった基礎となる部分をバウハウスではしっかりと教育されていたのではないかと僕は考えています。
以上、長くなりましたが、“ アート “ と “ デザイン “ は根元となる深い部分では実は繋がっている。ということが現場でアートの感覚が生かせる理由の2つ目です。
まとめ
僕は “ デザイン “ が求められる現場において “ アート ” という感覚しか持たないまま、インターンに参加し苦心することが多かったです。
しかしながら、そういった感覚は以下の2つの
造形秩序【 Unity 】には内容の豊かさも必要になる。
“ アート “ と “ デザイン “ は根元となる深い部分では実は繋がっている。
といった理由により、決して無駄では無かったと感じます。そして、これからもそれを心の内で忘れないように取り組んでいきたいと思います。
とは言え、まだまだ勉強も足りず、経験も浅い身なので、まずは自分を主張する前にしっかりとデザインのいろはをこのインターンという場で学んでいくつもりです。
加えて、今回の勉強会で、自分の考えをしっかりと整理できたり、新しい学びを沢山得る事ができたので、今後ともCRA東京ではこういった勉強会を引き続き行い、皆様にもご紹介できればと思います。
また、記事を書くにあたり、
NEW THEORY OF ART & DESIGN – 新 構成学 –
を大変参考にさせていただきました。この本が無ければ自分の考えをうまくまとめ、発表する事は出来なかったと思います。ありがとうございました。